「良くなると思えば、(図面は)最後まで変更をする」
白井晟一は、(芹沢美術館の)現場が始まったとき、静岡市営繕課と大成建設の
現場監理者たちに、強く言っている。そして、それは実際に行なわれた。
――「石水館 建築を謳う」
建築者の宿命とはいいながら、すでに広大な秩序のうちに密度となって溶解してしまった「物」に、
たしかな客観で対するのは、もう私の仕事をこえたことだ.
いずれにせよ、このようなめぐりあいによって形成された「物」にひそむアニマとペルソナの追体験をもし心がけて
くれる人があるならば、この写真集はその手がかりに何らかのよすがとなるだろう.
1980年春. 白井晟一 (「懐霄館」あとがき より)
――「好きな色」より
われわれが欲しいものは、最高の借り物でなく、最低の独創であるべきだが、
日本の手本があろうと、ヨーロッパの手本があろうと、他力本願で「創造」はできない。
この土の上で、自主の生活と思想の中から世界言語を発見するよりほかない。
それが創造の論理というものだ。
1970 s'
1980 s'
銈
――「煥乎堂について」より
―― 「伝統の新しい危険 われわれの国立劇場建設」
朝日新聞 1958.11.22.
ということが建築家(白井晟一)の言葉として伝えられ、早速誤解されてしまった。これは
建築を所有したり、使う人々を無視あるいは軽視することを意味しているのではない。建築はいわば「つくる者」と「使う者」の出会う「場」でもある。・・・
建築に対する所有や権利に関して言われていることではなく、「機能」の実現を目的とする、「つくる者」と「使う者」の総合的な人間の営為として、建築がとらえられなければならないという意味で理解されるべきであろう。
――「ああ、石水館」:「つくる者の論理」を求めてⅢ 白井昱磨 より
2021年 7月18日更新
2011年11月11日更新
白井晟一語録