1970 s'

1980 s'

 

 

  

_

  
Observations & Analecta

白井晟一語録


「良くなると思えば、(図面は)最後まで変更をする」

        白井晟一は、(芹沢美術館の)現場が始まったとき、静岡市営繕課と大成建設の
        現場監理者たちに、強く言っている。そして、それは実際に行なわれた。

                                
――「石水館 建築を謳う







                      



 










 







































「建築家は施主の夢を占う。
 
   
施主には個人から共同体まである。大王もあれば、明日の幽明すら不測の病人もないとは
   いえない。・・桂離宮やパルテノンの建築家はたしかにうまい裁断師、すぐれた医師で
   ある前に透徹した占眼を具えていたと思う。
   同じ造形家でも美術家と異なるこのような負担をのがれられない建築家の宿命であろう。」
  

「すきな色」への素撲な答えに、私には「青」がある。

 

――「煥乎堂について」より

李朝大壷の白も天目碗窯変の黒も、そしてイべリヤの血と砂から連想する情熱の赤も「すきな色」にはいらぬわけではないしすてがたいが、敢えて一つを問われれば「青」と答えよう。

――「好きな色」より

「 施主は建築そのものである。」

ということが建築家(白井晟一)の言葉として伝えられ、早速誤解されてしまった。これは
建築を所有したり、使う人々を無視あるいは軽視することを意味しているのではない。建築はいわば「つくる者」と「使う者」の出会う「場」でもある。・・・
建築に対する所有や権利に関して言われていることではなく、「機能」の実現を目的とする、「つくる者」と「使う者」の総合的な人間の営為として、建築がとらえられなければならないという意味で理解されるべきであろう。  
        
         
――「ああ、石水館」:「つくる者の論理」を求めてV 白井c磨 より

われわれが欲しいものは、最高の借り物でなく、最低の独創であるべきだが、
日本の手本があろうと、ヨーロッパの手本があろうと、他力本願で「創造」はできない。
この土の上で、自主の生活と思想の中から世界言語を発見するよりほかない。
それが創造の論理というものだ。

―― 「伝統の新しい危険   われわれの国立劇場建設」
                 朝日新聞  1958.11.22.

待庵の二畳は抵抗の数寄か、数寄のイロニィか。利休は身中の矛盾と時代の矛盾にいかにたたかったのであろうか。・・・芭蕉の「わび」はイロニィではなかった。利休の抵抗はイロニィを出ることはできない。芭蕉は一切を否定する精神の此岸で骨身を削る内苦の 意識に飽和しながら自然と官能へ真正面から対決したのである。・・・
 
利休は待庵の二畳で闇と光の調和のうちに、おもいのまま空間を収縮し、空間を拡大した。  利休にとって、すべての空間は限定された神秘を脱出する人間的可能性であり、時間は悠久の可能性以前のなまなましい実体であった。・・・
待庵の二畳は時空をこえた利休のダイモニアの影をうつす。しかしまた、さまざまな明暗をふくんだ歴史の比喩とも見えるうちに、なにかうすれた倫理性の蒙昧を感ずるのはどういうことであろうか。 
           
                           ――「待庵の二畳」(「新建築」1957年8月号 )

2011年11月11日更新

 建築者の宿命とはいいながら、すでに広大な秩序のうちに密度となって溶解してしまった「物」に、たしかな客観で
対するのは、もう私の仕事をこえたことだ.
いずれにせよ、このようなめぐりあいによって形成された「物」にひそむアニマとペルソナの追体験をもし心がけてくれる
人があるならば、この写真集はその手がかりに何らかのよすがとなるだろう.
                           
 1980年春. 白井晟一 (「懐霄館」あとがき より

 少年のころから長い年月、私の人間形成に心をくだいてくれた一人の姉の喜寿に、この作品集を
恵存できる幸せは大きな感銘である。
 さて これは私の半分も若い人たちの努力で出来た本である。四十年のささやかな労作を省みながら、
自分よりはるかに少い世代の人々が勉強の一里塚ともしてくれようという望外の幸運には、更に責任の
深さを感ぜざるをえない。
                一九七四年 秋  白井晟一
 
                    
 ――「あとがき」:「白井晟一の建築」中央公論社1974年12月25日発行より